中共の血に飢える本質(一):中共の土地改革の歴史と目的

作者:ヒマラヤ東京桜団翻訳組

中共の血に飢える本質(一):中共の土地改革の歴史と目的
毛沢東は、早くも1927年時点で
広大な農村が革命の根拠地になると考えていた
土地改革は、共産党が社会的均等主義の推進を可能にするだけでなく
農村での支配権を勝ち取ることもできる
長い間、紅軍の唯一の資金源は土豪から奪うことだった
土地改革のタイムライン:
1927年:土改开始
1927年:土地改革を開始
湖南省の土地状況調査の結果に基づいて
毛沢東が社会主義的土地改革の
概念を初めて提案した
毛は、土地所有権の60~80%が
地主階級と宗教団体の手に
あることに気づいた
1931年:江西中華ソビエト臨時政府の土地改革に関する法令
この法令は、封建階級の地主や宗教団体から
強制的に無償で土地を没収するというものである
江西ソビエト政府は
貧困層や中間層の農民と紅軍に
土地を再分配しようとした
1937-1945年:日中戦争期の土地改革
この時期の土地改革は
戦争の影響で地域差があった
1943年から1944年にかけて、
延安根拠地では
労働集団化の雛形が現れた
土地は没収され 小作料は減額された
1945~1949年:国共内戦期の土地改革
この期間中、土地改革は
共産党の根拠地で全面推進された
民間での「批判闘争」や「苦しさを忘れず、
今の幸せをかみしめる」運動が次々行われた
地主の中には漢奸もいて
土地改革の恩恵を受けた農民も多く
国民党との戦争では共産党が民衆の支持を得た
1950年:土地改革法成立
共産党が内戦で勝利した後の1950年
土地改革法が成立
中国人は階級を区別するための
アームバンドをつけることになり
「土豪を打倒し,土地を分配する」運動が
一層血なまぐさいものになった
1950-1953年:土地改革が完了
約400万人の不自然な死を
代償とした土地改革運動が
中国大陸で幕を下ろすのに3年を要した
農民に土地が返還されたように見えたが
共産党は農村集団化を盛んに宣伝し
「合作社」の準備を始めた
張国涛(中国共産党初期リーダーの一人)は
毛沢東自ら井岡山での焼き討ちを認めたと述べている
毛が子供を含む地主家族の殺害を命じたのだ
胡喬木氏は次のように述べている
「秋の収穫期の暴動では殺人や放火が擁護された」
「毛主席が自ら火をつけたことも認めた。
火をつけたら、周囲の農民は皆逃げた。
民衆は全く受け入れなかったのだ。」
1928年3月、湖南特別委員会代表の周鲁氏は
毛沢東にこう言った
「我々の方針は、燃やして、燃やして、燃やす!
土豪劣紳の家を全部燃やし尽くす!
殺して、殺して、殺す!
土豪劣紳を全部殺し尽くすことだ!」
「我々が家を燃やす目的は、プチブルジョアをプロレタリアに変えて
彼らに革命を起こさせることだ」
「家々は放火され、家族は寒くて
食べ物もないので、従ってくれる
田舎者は道を知らず、百里を旅したら
引き返し方がわからない
更に、後を追いかける者がいるのに
どうして恐れないだろうか」


この記事は著者の意見であり、GNEWSとは関係ありません
アップロード:ヒマラヤ東京桜団 / 煙火1095

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a1
3 months ago

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