手記、目覚めた中国人が辿り着く先には

作者:然小哥/ヒマラヤ東京桜団

中華という土地において、歴史上どんなひどい大事件が繰り返し起きても、大きなことを小さくして、小さいことをないことにする。しかし、1989年天安門で起きたことはぼくの脳裏の隅っこにしまっても、「はたして、いったい」といった疑問符が一時も離れることなく、腑に落ちることもないまま、ひたすら月日が流れていた。

1989年~2021年、彷徨う末、目覚めた中国人は進もうとする新たな方向とは。ひとりの中国人が中共思想の束縛から解き放つ物語。

「言うことを聴け!いい生徒であれ、教室にじっとしていろ」

1989年、学校の先生はこの一言でぼくたち辺境の町に暮らす高校生が持っている単純に外で一体何が起きたのか知りたいという探究心を跡形もなく鎮圧した。

それでも放課後、学校でテレビを見ることができない下宿生だったぼくは、まっしぐらデパートのテレビ専門売り場まで走り、展示品のテレビに何を映っているのか確かめに行った。ブラウン管テレビの画面が真っ暗で、映像もなく、字幕とナレーションだけがあった。中央テレビの独特の抑揚の効いた、銃剣のようなナレーションである情景を描写していた。

「極めて少数の人が学生運動を利用して組織的に、政治的動乱を企て、反革命的暴動にまで発展させた…」

1989年、抗議に参加した北京の学生ら。JIAN LIU ネットより

男女のナレーションが繰り返し放送され、無知な少年だったぼくが更に困惑を覚えた。「もし知られてまずくないなら、なぜ生放送しないのか」とぼくは呟きながらデパートを後にした。

その後しばらくの間、生徒の間でひそひそ話が続いた。

「お役人さんの不正蓄財や腐敗をちゃんと説明しろよな」

「何日もハンストする学生たちはお腹がすいているだろうし、なぜ一国の総理が遅々として学生と面会しないのか」

「王丹は優等生だが、ウーアルカイシはチンピラだ」

はたまたある人は「ぼくの村の○○は北京に行ったよ。北京城まで着いてさ、戒厳だと言って、入るな、帰れ、と警察に言われたんだよ」

ハンストに参加した学生ら(CATHERINE HENRIETTE/AFP/Getty Images)

中華大陸という土地柄か、昔からこのような「情報通」の人が決して少なくない。情報源が確かか、言っていることが真実なのかいずれか、定かではないにしても、半端ながら原始的で純粋たる独立思考だと思った。交通の基本は歩きに頼り、通信の基本は吼えるに頼る時代においては、このような噂話は井の中の蛙のようなぼくたちの目を一瞬明るくしたし、幾分外の世界で起きたことを知りたいと渇望する探求心の渇きを癒すことにもなった。

学校や社会の「不穏」な空気が「上」をひどく不安にしたようで、それから中越戦争の前線から帰ってきた「英雄」たちによる報告会が大々的に開かれ、学校が率先して生徒を集め聞かせるようにした。

1984年にベトナムとの国境の老山地帯で勃発した戦争はのちの数年の間もぱらぱらと小規模な戦闘が続いていたが、ほぼその年で中国側の圧勝で終っていた。当局はこの実績を掘りだして、見せ物にするのが自らの偉大さの誇示と解放軍のイメージアップをはかる意図は禿げ頭に乗るシラミほど分かりやすいものだったが、当時のぼくには気づく由もなかった。「英雄」たちが大挙してぼくたちが住む辺鄙な地を訪れたのは、彼らが全国に名を轟かせてからだいぶ後のことだった。その様子がまるで映画工場から出荷された映画フィルムのように、最初はきらびやかで美しく大都市で上映されたのち、中等都市に行き渡り、最後はど田舎に辿り着く。しまいにはフィルムが磨耗して色褪せてくる。田舎のスクリーンに映し出された頃には、縦横の糸や雪びらが飛び交い、半端ない使用感が漂うばかり。

講演会の「英雄」らも総じてそんな感じであった。疲れた顔だったが、口が滑らかで、しゃべることが銃を撃つよりうまいと想像に難くない。時々聞いている人がうとうとしている時にネタを放り出し、みんなを笑わせたりした。彼らは軍人というよりトークショーの芸人あるいは歩くオルゴールのようにも見えた。

このようなやり口の洗脳は間違いなく成功した。

「共和国の風采」「軍の功章は半分あなたのもの、半分わたしのもの」といった謳い文句を呪いのようにみんなの脳みそに吹きかけ、気分を高揚させ、各々があたかもこの国のお主であるかのような錯覚に陥ったりして、実に気持ちがいい。

「英雄」らの報告を聞いていて、思わずある笑い話を思い出した。ある人の靴が壊れた。周りに靴で笑いものにされたくないので、注意をそらすため思い切り頭にスイカの皮を被せた。党が統治するための洗脳活動はたいがいそんなもの。お尻に火がついているのに、頭のほうを叩いたりする動きをする。しかし、市井に暮らす民は本能的に長い間ある苦痛なことに執着することができず、生きるためにも、適当に理屈をつけ、そのうち嫌なことは誰も目向きせず、時の流れに身をかませるままになる。だから歴史上どんなひどい大事件が繰り返し起きても、大きなことを小さくして、小さいことをないことにする。しかし、1989年天安門で起きたことはぼくの脳裏の隅っこにしまっても、「はたして、いったい」といった疑問符が一時も離れることなく、腑に落ちることもないまま、ひたすら月日が流れていた。

その後、しばらく経って家族と一緒に「異路を歩み、異郷に逃げ、別様な人々を求めていく」というように海外へ移住した。旅の心が落ち着き始めたころ、海外で見られる天安門事件の資料や映像を調べたりしてみた。

爆竹のような銃声と戦車に押されてぼやけた肉せんべいのようになった死体の写真・・・パズルの欠けた部分を取り戻した気がして、当時のデパートの専門店のテレビの黒い画面と合わせて完全な画面を還元した。それにぼくは驚愕した。雷に打たれたように長い間気持ちが静まらなかった。プロパガンダメディアが言っている「大衆に向かって銃一発も打っていない」というのが大きなうそだったと初めて確信した。逆に、もしかして彼らが事実を正直にほのめかしてかもしれない。「銃一発は打っていない、無数発を撃った」という意味なのかとも考えたりした。

1989年6月4日正午、南池子にて市民と解放軍対峙。市民は銃弾を浴び死傷者多数出たとされる。(六四ファイル写真より)

この衝動を抑えきれず、写真などの資料を国内の友達にシェアした。彼らの反応はひどくぼくをがっくりさせたるものだった。

「とうの昔のことだから、何をいまさら言い出すのじゃ」

「事件の性質が決まっているよ。反革命の暴動だって」

「老山で戦っている人民解放軍はそんなひどいことしないよ」

……

ちょっと違うトーンを持つ人はおもむろに「気をつけてぇ、このことをむやみに伝えてはいけない、分かるよね」と話してくれた。

映画でよく見るゾンビに噛まれた人は、ゾンビよりも怖いシーンを思い出した。この問題をめぐって、周りにゾンビに噛まれた人があまりにも多いことにぼくは落胆した。

たまには、「満洲事変、盧溝橋事件、南京大虐殺はもっと昔のことじゃないか。どうして繰り返し宣伝するのか」とぼくから反論してみた。

すると、ある人は急に言葉を詰まらせたり、ある人は豹変し、あの国で最も不足しないありったけのレッテルを僕に貼ったりして、結果的に気まずく話が終わるのはよくあった。

「別様な人々を求めていく」途中、たまに北京の人と出会うこともある。試しに聞いてみると、一応驚きの表情を見せながら、封印された記憶を手繰り寄せ、思いを明かしてくれた。

「あなたが言わないと、もう忘れてしまったよ。私の家は長安街からさほど遠くない。あの夜はずっと銃声が鳴り響いた。私たちは家にじっと隠れていて、外に出られなかった。明るくなって分かったが、長安街の両側の建物の壁に銃痕がたくさんあった。」

「虐殺は本当ですか?」とぼくは聞いた。

「どう思う?銃には目がある?」とその人は真剣な目でぼくを見つめた。

そして、ぼくたちはしばし沈黙していた。

それからというもの、国内で強権の圧力がますます強まった。国際社会はというとある種の戦略的な考えに基づいたのだろうか、宥和政策を打ち出したおかげで、あんな貧しい国に大きな変化が訪れた。「下海(しゃはい)(商売する)」という号令のもと、億万人の人が移動するヌーの大群のように我れ先にと商売するようになった。ぼくの尊敬する学校の先生が何人も教鞭を置き、商売の海へと下った。社会全体がにわかに高度な経済繁栄を実現した。「あなたがよし、私もよし、みんながよし」という、なあなあの世相の中、飽食後のゲップに酔いしれて、理想に麻酔かけ、信仰がすっかり忘れさられ、最低限の道徳的ラインもなくしてしまった。銭の臭い以外に、「趙家」の人たちに自分を奮い立たせるものは、もはや何も残っていない。恍惚の間に30年の歳月が過ぎ去った。

ぼくの故郷は北方の辺境の町にある。真冬の川面は馬車が走れるほど厚い氷が張る。大雪の日には山林が一面寂静な銀色の世界にすっぽりと包まれる。時々ぼくは雪の上に横たわり、空から降ってくる雪の華を眺めながら、まだ見ぬ遠い春の到来を祈ることもあった。

故郷のイメージ写真。ネットより

ずいぶん長い間故郷に帰っていない。最初のころ、それこそ意気揚々と志高く、帰心は矢の如しというぼくは、自分を欺くにしても、故郷を美化するのが難しいと気づいたのはだいぶ時間が経ってからのことだった。遠方から流れてくる故郷の風や雲は、いつもぼくを身震いさせるものばかり。PM2.5、偽ワクチン、下水から作る食用油、毒粉ミルク、毒食品、事故した新幹線を即埋め事件・・・後を絶たない。

更にぼくが絶望と感じたのは、14億人を牛耳る支配政権ならではの一貫した問題の処理方式だ。昔にも増してのらりくらりの極みだ。時には処理手法は事件そのものよりも悪質だったりする。発生した問題に真っ向から解決を図るのではなく、問題を明るみに出した人を始末するからだ。それに司法手続きを草芥のように扱い、単純に抹殺して解決することができない人を、中央テレビに吊し上げ罪を認めさせる。最も特色のある伝家の宝刀は大衆を扇動して、大衆の軽はずみと横暴さが真っ赤な精神的ヒ素に叱咤激励され、動員されたものは狂喜乱舞するように振る舞う。韓国人に触発されたら韓国企業の店舗を破壊しまくり、日本人に触発されたら、日本製車を破壊し回る。店員と車の持ち主は「趙国人」であるのもなんのその。

知らず知らずのうちに、時代はまるでぼくの故郷のような厳冬の境地に入った。ただ色は白ではなくて真っ赤だ。人類は道徳天尊の溶鉱炉で真っ赤に燃える三味真火に照れされているように思える。ぼくは世界の隅っこに縮こまって、窓から世の中を心細く覗き見る。故郷の雪の上に横たわったように、この溶鉱炉はいち早く裂かれ、人々が思い切り息できるように固唾を飲んで祈ったりする日々が続いた。

四年前の初夏、太陽の光がふんだんに街に降り注ぎ、のんびりとけだるさを感じさせてくれた。ぼくはパソコンに向かって、普通に仕事をしていた。するとネットからニュースのプッシュ通知を目にした。何となく開けてみたら、ある中年の男性がグレーの中国服を着て、真面目に語っていた。「暗黒な手法で国を治める、暴力で国を治める、腐敗で腐敗を止める、暗黒な手法で腐敗を止める」そんな統治のやり方に今からNoだ。さらに、これらを実現するには「CCP(中共)を消滅させるほかない」と力強く語る。彼の名はGさんだという。

Gさんの出現やその人となりは、最初のうちは何が何だかよく分からなかったが、ずっと目を惹かれるのも確かだった。特別なことを言われたというより、どこにも見ることのできないその勇気に惹きつけられた。あの勇猛さは長板坂で馬一匹、槍一本で曹操大軍を闊歩する趙雲子龍とダブって見えた。

裸の王様の新しい装いを暴いた子供が正しいという事実が証明された。しかし、正しいことを前にして大人たちは往々にして沈黙を貫いている。そればかりか大人は子供をばか呼ばわりする。大人たちの「賢さ」と「寛容さ」が、欺瞞に満ちた悲劇を繰り返し上演させてきたというのに。ぼくの直感では、あの王様の新しい装いを暴いた子供は、すでに大人になった。容姿こそが変わったけど、真実を追い求める心は変わっていない。そう、Gさんはあの子なのではないかとさえ思った。ある種の共鳴を覚えて、ぼくは知らず知らずにマウスを動かして、時間順にGさんの動画を一つ一つ開けてチェックした。そこには、天安門事件のことはもちろん、「偉大なる党」のベールに包まれる、信じがたい汚れた事件、虚偽に満ちた行いのオンパレードだった。

世界はそんなに単純なものではない。Gさんは明らかに多くの人の利益と国家権力の脆弱な神経に触れた。その証は大量のゾンビが集められGさんを攻撃しているのだ。赤く染まったゾンビたちの傲慢さが世界中にはびこる、彼らの「特色」に染めさせようとしている。そのためか、最初はGさんを援護する人が多くなく、彼を包囲し攻撃した人がたくさんいる。これも人間の悲しい性で、善と悪、真と偽、間違いと正しいを前に、往々にして長い物には巻かれろと保身に走る。

「趙家の人」から、赤いゾンビ、ないし「五毛党」までがまんざらでもない「趙国夢」という白日夢を見ている。「開元の治」に戻った夢だ。気分が最高潮に達し、万国が来朝するような時代錯誤の感覚に陥っている。それでいてエクスタシーに浸っていて、無性にのさばっている。

真実を知らずに平々凡々に過ごすのと、真実を知りながら自分を欺きながら過ごすのと明らかに同じ次元の話ではない。多くの人が真実を避けて通りたいのは、良心の呵責に耐えることのほうがつらいからだろう。しかし、事象を知ってから、一時的なことではあるが、もがき苦しむのも決して避けては通れない。

ぼくは家族とこのことで大いに揉めた。話している途中に電話を切られることもあった。

最初は口々に骨の髄まで叩き込まれた「趙家があるからこそと新しい趙国がある」と信じてやまなかったが、今では「趙家はイコール趙国人ではない。趙家も趙国人を代表できない」と分かってきた。

PM2.5と赤いイデオロギーだけではない。今や、世界中が趙家ウイルスの脅威にさらされている。趙国とその手先と化した国際機関が手を携えて演じたショーは愚かにも国際社会により明確に、「悪の枢軸」の正体を分からせるものだった。

既得権益層で「趙家の人間」だと自負している人たちも、もはや悠々自適に過ごしていられなくなったようだ。所有の企業と資産が共産化され、ある者は囚人となり、ある者は非業の死を遂げた。まさしくGさんが言ったように、趙家の肉挽き機の中には罪のない人はいない、絶対に安全な人もまた誰一人もいないのだ。

趙家が多くの人々を巻き込みながら、まっしぐら黄泉路に向かう中、世界の潮目がすっかり変ってしまった。人類が存亡の危機と種族絶滅に直面するいま、グローバル企業を含む資本主義利益集団でさえ、利益を追求する際の無原則のままでは、やがて見かねた消費者に見放される時代となった。

時代の歩みは往々にして後退することもある、しばしの後退はやがてやってくるジャンプアップへの助走にもなる。

「革命」という言葉がこの時代に及んで、また敏感に感じ取られるようになった。この言葉には暴力染みたマイナスイメージと血生臭い恐怖の一面もあろうが、時代にはグレードアップするべく新たなイノベーションが必須との意味合いも持つ。情報が発達したこのハイテク時代において、人類が進むべき道の岐路に立ち、誰もがある答えを求められる。ぼくはキーボードを叩いて、この答案を書こうと試みる。

問題は至って簡単だ。「引き続き理想に麻酔をかけ、信仰を忘れ、さらに最低限の道徳ラインをなくしていいのか」という問いだ。

新中国連邦国旗

2020年6月4日、1989年6月4日から数えて、31回もの四季の流転を経て、新中国連邦が成立した。ますます多くの人がそこに集まってきた。そこにはもはや伝統的な意味で城を攻め落とし、土地を占領する形ではない。何より世界に向け高らかに宣言した:恐怖の支配から目を覚ました中国人は国際社会と普遍的価値を共有する方向に舵を切った。

(2021年4月14日)

この記事は作者の意見であり、GNEWSとは関係ありません。
校正:ヒマラヤ東京櫻花団 / 旭鵬(文鵬)
責任編集:ヒマラヤ東京櫻花団 / 旭鵬(文鵬)
アップロード:ヒマラヤ東京櫻花団 / 山猫

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